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曖昧な社会人になるための働き方思案


第2回 プロの仕事とプロでないシゴト(前半)

■「それ以外の社会性」と肉屋のコロッケ

セコい話ばかりが続いて申し訳ないが、とにかく少なくとも私がこれまで文章の仕事をしてきた中で学んできた「プロ」とはそういうものだったし、そこで求められてきたのは前述のような「社会性」だった。意識が低いだのなんだのと言われたところで、それが個人の現実感というものだから仕方がない。当たり前だ。誰も締め切りを守らない奴と仕事はしたくないし、悪態をつく奴に仕事など任したくはないのだ。誤解も含めて言えば、仕事をする人も、またそれを受け取る人も、それなりに満足できればそれでいいのである。もちろんそれなり以上満足できればそれにこしたことはないのだけれど、それぞれいろんな立場や事情があるわけであるから、平均をとってそこそこならばまぁ問題ない。むしろそれに関わる人が本当にみなそこそこ満足したならば、それはかなりいいプロ仕事なのだと私は思う。

こんな当たり前をふまえた上で、今一度立ち止まり考えなければならないことは、私たちが仕事において考える「それ以外の社会性」についてだ。それはすなわち「家族における社会性」や「大人としての社会性」、もしくは「市民社会における社会性」だったりといったことである。先に述べた「プロとしての社会性」はあくまでも仕事をしていく中で実際に直面する状況から生まれる単焦点的な意識でしかない。言い換えれば「プロとしての仕事」の先には、あなたの愛する家庭も、あなたが大人であるということも、あなたが市民社会で生きているということも、何も存在しないのである。ひどいモノ言いであることは充分承知している。しかしそうでも言っておかなければ、私たちが仕事を通して「それ以外の社会性」に目を向けるのは極めて難しい。なぜなら私たちが行ってきた仕事のほとんどが「プロとしての社会性」の上にしか成り立っていないし、それ以外の「それ以外の社会性」を考え始めた途端、これまでの仕事のあり方はいとも簡単に崩れてしまうからだ。

抽象論が続いたので、少し具体的な例え話をしよう。あなたはとある広告制作会社に勤務するデザイナーである。あなたはあなたの家の近くにある小さな肉屋の少し色の悪いコロッケが子どもの頃から大好きで、その店の愛想のいい店主とも顔なじみだ。ある日、あなたはあなたの務める会社の上司から、その肉屋から数十メートル先に新しく出来る大型スーパーの広告制作を任される。そしてその中に肉屋のコロッケよりもはるかに旨そうな色をしたコロッケの写真をみつけた。あなたの脳裏にはシャッターに閉店を知らせる張り紙がなされた肉屋の情景が浮かぶ。そしてその時あなたは初めてあなたの仕事のもうひとつの側面を知り、モニターの前でひとりこうつぶやく。「プロの仕事っていったいなんなんだ」と…。



■プロなんてろくなもんじゃない

例え話の善し悪しはともかく、私たちの仕事の正当性は往々にして「プロ」という極めて近視眼的な社会性によって裏付けされているものだ。このことは決して誰も責めることは出来ない。何度も言うがそれが個人の現実感というものなのであるからだ。しかしながら、もし何かのキッカケで「それ以外の社会性」に直面してしまったとき、私たちは仕事のやりかたを根本から変える必要にせまられる。いや、もしそんな決定的状況に直面しないとしても、「プロという社会性」によってのみ正当化された仕事において、人は様々な矛盾と犠牲を抱えそれを受入れることを余儀なくされるのだ。思い返していただきたい。なぜあなたの退社時間はかくも無駄に遅いのか。急な休日出勤で恋人とのデートをキャンセルせざるをえないのか。元を正せばあなたの仕事が「プロとしての社会性」の上にしか成り立っていないからではないか。そしてもうひとつ私の経験から言わせてもらえば、プロだプロだと自らのたまうのはだいたい一緒に仕事がやりにくい連中である。

まぁ、ウェブだからといって書き散らかすのもこれくらいにしよう。要は「プロの社会性」という凛とした言葉の響きに惑わされないよう、自らの仕事に関して「それ以外の社会性」を持っておくことである。しかしこれが実際にやってみるとなかなか面倒である。次回はそのための具体的な一方法とその落とし穴について書いてみたい。ポイントはこの連載のサブタイトルである「あやふやな社会人」である。

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