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曖昧な社会人になるための働き方思案
執筆
+ 岩淵拓郎
美術家・執筆家・編集者。
メディアピクニック
'73年、兵庫県生まれ。関西を拠点に、主に文字を使ったマルチプルピースやインスタレーションを制作。また98年にオフィス「メディアピクニック」を設立、雑誌や新聞での執筆、編集、各種コンテンツプランニングなどメディアにまつわる業務を行う。'04より北区南森町で住居用マンションを使ったクリエイティヴワークスペース「208」主催。
10月には天王寺区應典院で個展。くわしくはこちら


第1回  何を“仕事”と呼ぶか

【仕事】する事。しなくてはならない事。特に、職業・業務を指す。(広辞苑 第4版より)

仕事とは何だろう? かつて無条件に受け入れてきたはずのそれについて、このところ考える機会が増えた。ニートの出現やフリーターの増加、若い世代の定職率低下に中高年のリストラ問題……新聞をざっと流し読みするだけでも、それについて考えるべき理由は多い。ただ、それにも増して考えなければいけない理由は、31歳にしてよりいっそう複雑かつ曖昧になっていく自分の働き方そのものにある。私の仕事は「美術家」であり、「執筆・編集家」であり、また「それ以外」である。

自己紹介がてら、自分の仕事について簡単に説明しておこう。まず「美術家」の仕事において、私は言葉をモチーフとしたマルチプルピースやインスタレーションなど作品を制作している。美術の文脈の中に位置づけるなら、いわゆるコンセプチュアルアートだと考えてもらって差し支えない。一方、「執筆・編集家」の仕事では、主に雑誌でのコラム執筆や企業の資料編集などを行っている。内容的にはコンピュータやテクノロジーに関わるものが多いが、たまには全くことなる分野の内容の仕事も引き受ける。この二つの仕事に対して、私はそれなりに満足してやっていて、またどちらも言葉を扱うということもあって、気持ちの上でのはっきりとした境界線はない。ただ一般的に言うところの「仕事」、つまり「生計を立てる」という意味においては、それらが占める割合はおおよそ1:5である。さらに「それ以外」の仕事において、実はこれが私の生活の中でかなりの時間を占めているのだけれど、金になることや金ならないことをごちゃごちゃとやっている。具体的には、知人のデザイン事務所を手伝い、美大で非常勤講師を勤め、仲間たちと小さなワークスペースを運営し、アート系NPOの活動に参加し、自分の開設したメーリングリストやmixiのコミュニティーを管理し、さらに時間が空けば派遣会社のアルバイトで企業相手のパソコン講習会をやったりもする。これらはどれも本来的には自分の本業ではないが、まったくもって無関係というわけでもない。いや、むしろ冒頭の定義に沿って考えるなら、どれも自分にとって「する事」であり「しなければならない事」という意味でまぎれもなく「仕事」なのである。

このように様々な仕事を抱えながらも私はそれなりに充実したおもしろおかしい日々を過ごしているのだが、ふと立ち止まって周囲を見渡すとあまりに様子が異なっていてどうもばつが悪い。世間では、金になることこそが「仕事」であるとされていて、そのために企業の中で与えられた用事をこなすことこそが「社会人」であると考えられているからだ。確かに私の仕事は金にならない事もおおいし、辛気くさい色のビジネススーツだって上手く着こなせない。明け方まで起きているので大抵は午前中いっぱい寝ているし、時には1ヶ月近くバカンスをとることだってある。それでも私は自分の事をまぎれもない「社会人」だと思っているし、そこらのいい加減なサラリーマンよりはずいぶんと自分のするべき仕事をしていると思っている。いや、私だけではない。少なくとも私の周りにはそんな「曖昧な社会人」たちが大勢いて、実際にそれなりのバランスを保ちながら暮らしている。

仕事とは何だろう? この問いに対して、私は私の仕事を通して、また彼らの仕事を通して考えてみようと思う。それらはけっして現状における正攻法ではないかもしれないが、人が避けては通れない仕事という営みの新しいあり方や意味を見いだす鍵になるかもしれない。そしてなによりその鍵は私が私の仕事を正当化するためのいい「言い訳」になるはずだ。

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